箱書きからシナリオ初稿を作っていると、できあがる映画がこぼれ出すように、姿を垣間見せる

前の記事から、半年が過ぎました。

この半年の間に、映画の制作は少しずつ、しかし確実に進んできました。

ストーリーについて言えば、半年前の段階では、私たちスタッフが議論を重ねながら、「箱書き」と呼ばれるものを作っていました。

私の書いた原作小説から、映画がどのようなシーンで構成され、どのように物語が進んでいくのか。その全体の設計図を作る作業です。

それが完成したのが、この6月。

そこから現在は、いよいよ初稿、つまりシナリオの第一稿を作る段階へと進んでいます。

それにあたって、まず監督を選ばせていただき、無事、引き受けていただくことができました。

本作は、基本的にはラブストーリーです。ですから、ラブストーリーを描くことに実績のある監督にお願いしたいと考えました。

もう少し説明すると、この映画は、AIをはじめとするテクノロジーが現在よりも発達した、少し先の未来を舞台にしたエンターテインメント作品です。

しかし、私たちが描きたいのは、テクノロジーそのものではありません。

どれほど技術が進歩し、社会のあり方が変わったとしても、人間が人を愛するということ、その根本にあるものは、それほど変わらないのではないか。いや、むしろ変わらないのだ、ということを打ち出したい。そんな思いがあります。

ですから、AIや未来のテクノロジーを扱い、SF的な世界を舞台にしながらも、作品としてはむしろ文芸色の強いものにしたいと考えています。

幸いにも、文芸色の強い作品を手がけてきた実績のある監督にお願いすることができました。そして監督自身も今回、AIというテクノロジーが人間と共存しようとする世界を舞台に、これまで描いてきた自身の世界を表現するという新しい試みに、やりがいを感じてくださっています。

監督は、私たちが作った箱書きをもとに、かなり大胆に物語を整理し、短い時間の中で、よりコンパクトな一本の映画として組み立て直してくださいました。

そして現在、そこから実際のシナリオを作る作業が進んでいます。

その過程では、まるで私たちが書いた箱書きやあらすじの「行間」から、人物を一人ひとり作り出していくように感じます。

それまでサムネイルのように並んでいた一つひとつのシーンの中から、登場人物たちが立ち上がり、生きて、呼吸し始める。

彼らが言葉を発し、彼らが息をする空間や、両足で立つ大地が生まれてくる。

そうなってくると、まだ撮影すら始まっていないのに、いつかできあがる映画の断片が、こちら側へこぼれ出してくるように、ふとその姿を見せる瞬間があります。

これは、原作を書くこととはまた違う、映画制作ならではの、非常に感動的な体験です。

そして、この作業と並行して、主役を誰にお願いするのかというキャスティングも進んでいます。

私たちの中では第一候補となる俳優を決め、その方にまず本作の企画書をお渡ししています。そして脚本の初稿が完成したところで、それを読んでいただく。そこで作品を気に入っていただければ、出演について具体的にお話を進めていく――現在は、そこまで話が進んでいます。

また、脚本を作りながら、同時に映画全体の予算の枠組みも作っています。

本作には海外ロケも含まれるため、映画制作の予算を専門に扱うプロデューサーにも加わってもらい、実際にどの場所で、どのような撮影を行えば、どのくらいの費用が必要になるのか、具体的な見積もりを作りながら制作を進めています。

こうして、箱書きから脚本へと進んでいく間に、物語だけでなく、この映画がいったい何を描く作品なのかという「骨格」、あるいは「基軸」と呼ぶべきものが、次第にあらわになっていきます。

不思議なのは、それが何かを考え、詰めていくことで作り上げられているというより、もともとそこにあったものが、少しずつ姿を現してくる、という印象の方が強いことです。

原作を書いた自分自身にも、最初からすべてが見えていたわけではありません。

監督が箱書きを組み替え、脚本家が人物に言葉を与え、スタッフと話を重ねていく。そのたびに、「この物語は、もともとこういうことを描こうとしていたのか」と、私自身があとから気づかされることがあります。

その過程を、今、私はまざまざと体験しています。

毎日のように、いろいろな発見があります。そして、まだ映画はできあがってもいないのに、こうして映画を作っている時間そのものを、ふと愛おしく感じることがあります。

映画だけでなく、それを作っている自分たちの時間まで愛おしくなっているのだとしたら、私は自分で思っていた以上にナルシストなのかもしれません。

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