第52回読書ミーティングで2冊目に取り上げたのは、朝井リョウさんの『イン・ザ・メガチャーチ』です。
2025年9月に刊行され、読書ミーティング開催時にはすでに2026年本屋大賞の受賞が決まり、発行部数も50万部を突破していました。
実はこの本は、前々回、前回の読書ミーティングでも、取り上げる候補に挙げていました。
売れている。非常に現代的である。いまの時代を体現するベストセラーとして、申し分のない作品です。
それでも、SHOMAは最後のところで選書から外してきました。
優れた作品であることは認めながらも、どうしても好きになれなかったからです。
しかし今回、本屋大賞を受賞し、おそらく2026年を代表するベストセラーの一冊になるだろうと考えました。
自分が好きになれないという感覚も含めて、この小説がなぜこれほど多くの人に読まれているのか。そこに、いまの時代の空気があるのではないか。そう考え、あえて取り上げることにしました。
非常に「企画力の高い小説」
SHOMAからは、まずこの作品を、
「非常に企画力の高い小説」
と紹介しました。
単なる「推し活小説」ではありません。
令和の社会に広がる孤独、空虚、生きづらさ、理想と現実とのずれ。それらを、アイドルビジネスやファンダム経済の構造と重ねて描いています。
物語は、ファンダムを「仕掛ける側」、そこに「のめり込む側」、そして「かつて熱狂していた側」という、立場の異なる三人の視点で進んでいきます。
彼らに共通しているのは、現実の生活の中に、埋められない隙間を抱えていることです。
仕事や家庭に居場所を見つけられない。周囲に人はいても理解されない。理想の自分と現実の自分がかみ合わない。
その隙間を、「推し」という存在が埋めていきます。
推し活は、人を慰め、日々を生きる力を与えます。
しかし同時に、人を依存や熱狂へと導き、お金や時間だけでなく、考え方や自尊心まで差し出させることがある。
この小説は、その両面を描いています。
宗教に代わる、新しい「物語」
本書のタイトルにある「メガチャーチ」とは、多数の信者を集める巨大教会を意味します。
宗教は長い間、人々に生きる意味や物語、そして共同体を与えてきました。
しかし現代では、宗教だけでなく、国家やイデオロギー、地域や家族といった、かつて人々が自分を重ねていた大きな物語が弱くなっています。
その空白に入り込むのが、「推し」という新しい物語です。
自分が応援することで、推しが成功する。自分もその物語の一部になれる。同じ推しを持つ人たちとつながり、共同体に所属できる。
推しの物語と自分の人生を重ねることで、現実の生活では得られなかった役割や生きがいを得ることができます。
『イン・ザ・メガチャーチ』という題名は、私たちがすでに、巨大な熱狂の共同体の中にいることを示しているようにも思えます。
人を動かす「視野狭窄」
本書では、ファンダムを仕掛ける側の論理として、「視野狭窄」という言葉が繰り返し登場します。
人を強く動かすのは、誰もが納得できる完全な正しさではありません。
一つの対象だけを見つめ、それを信じ切り、ほかの可能性が目に入らなくなるほどの強い思い込みです。
選択肢が多すぎて、何を信じればよいのか分からない時代には、広い視野を持ち続けること自体が負担になります。
それよりも、信じる対象を一つに絞り、自分のお金、時間、感情をすべて注ぎ込むほうが、人生が分かりやすくなる。
自分を「使い切っている」という感覚が、強い幸福感や生きている実感をもたらすこともあります。
そこにビジネスを仕掛ける側の狙いがあります。人が生きる意味を求める力そのものが、ファンダム経済の燃料にされていくのです。
本屋大賞の転換「人を救う物語」から「人を巻き込む物語」へ
SHOMAからは、この作品が本屋大賞を受賞したことの意味についても問題提起しました。
SHOMAがこれまで読んできた本屋大賞受賞作の多くには、
「人間は傷ついても、なお他者とつながることができる」
という、人間への根源的な信頼が流れていたように思います。
たとえば、第1回本屋大賞を受賞した小川洋子さんの『博士の愛した数式』。
記憶が80分しか続かない博士と、家政婦、その息子が、数学や野球、食卓での会話を通してつながっていきます。孤独を抱えた人間にも、世界の中に居場所を作ることができるという、静かな希望の物語です。
恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』では、国際ピアノコンクールで競う人々が、互いの才能に触れ、競争を超えて祝福し合います。
凪良ゆうさんの『汝、星のごとく』では、依存や弱さを抱えた人々が、それでも誰かを愛し、理解されたいと願い続けます。
阿部暁子さんの『カフネ』も、大切な人を失った者同士が、食べることを通して少しずつ再生していく物語でした。
こうした作品では、人は孤独で、傷つき、社会に疲れていても、人と人とのつながりには回復する力があると信じられていました。
ところが、『イン・ザ・メガチャーチ』では、その「つながり」自体が市場に回収されます。
登場人物たちは、従来の本屋大賞作品の人物たちと同じように、孤独で、傷つき、必死に生きようとしています。
しかし、その生きようとする力までが、ファンダム経済の燃料にされてしまう。
人を救うはずの物語が、人を視野狭窄に陥らせ、消耗させる装置へと変わっていく。
しかも、そこから簡単には救われません。
この救いの少なさこそが、従来の本屋大賞受賞作とは異なる、本書の大きな特徴ではないかと考えました。
「仕掛ける側」も巻き込まれている
KUさん(編集者)は、本書を途中まで読んだ感想として、朝井リョウさん自身がテレビなどに出演する作家であり、「作られる側」の感覚を持っているのではないかと話しました。
メディアに露出する作家自身もまた、人から見られ、演出され、評価され、消費される存在です。
その感覚が、小説の中の「仕掛ける側」と「仕掛けられる側」の複雑な関係に反映されているのではないか、という指摘です。
この小説は、推しに人生を注ぎ込む人を、外側から一方的に批判する作品ではありません。
推しを作る人、売る人、物語を設計する人もまた、会社や市場、メディアの構造に巻き込まれています。
誰か一人の悪意によって起きているのではなく、それぞれが自分の仕事や生活を守ろうとするうちに、大きな熱狂の仕組みが出来上がっていく。
そこに、この小説の現代性があります。
なぜ本屋大賞に選ばれたのか
KUさんは、本屋大賞には、「まだ十分に知られていない本を応援したい」という書店員の思いもあるのではないかと話しました。
しかし、朝井リョウさんは、すでに多くの読者を持つ作家です。
それでも大賞に選ばれたということは、知られていない本を応援したいという気持ちだけではなく、作品そのものに強い力があったからではないか、という見方です。
また、参加者からは、現代社会全体が何かに巻き込まれやすくなっているのではないか、という意見も出ました。
政治、宗教、SNS、炎上、陰謀論、ファン心理。
この小説が描いているのは、推し活だけではありません。
不安を抱えた人々が一つの物語に集まり、集団の中で視野を狭め、さらに強い言葉や行動へと向かっていく。
その「熱狂の構造」が、いまの読者に強く響いたのではないでしょうか。
KUさんは、本屋大賞には、「まだ十分に知られていない本を応援したい」という書店員の思いもあるのではないかと話しました。
しかし、朝井リョウさんは、すでに多くの読者を持つ作家です。
それでも大賞に選ばれたということは、知られていない本を応援したいという気持ちだけではなく、作品そのものに強い力があったからではないか、という見方です。
また、参加者からは、現代社会全体が何かに巻き込まれやすくなっているのではないか、という意見も出ました。
政治、宗教、SNS、炎上、陰謀論、ファン心理。
この小説が描いているのは、推し活だけではありません。
不安を抱えた人々が一つの物語に集まり、集団の中で視野を狭め、さらに強い言葉や行動へと向かっていく。
その「熱狂の構造」が、いまの読者に強く響いたのではないでしょうか。
推し活と「マネーボール」
Hさん(弁護士)は、この小説に描かれた推し活のマーケティングを、映画『マネーボール』になぞらえました。
従来の野球では、ホームランや球速など、分かりやすく目立つ数字が重視されていました。
ところが『マネーボール』では、それまで注目されてこなかったデータから選手の価値を見つけ、安く評価されていた選手を集めて強いチームを作ります。
アイドルグループでも、中心的なスターだけが重要なのではありません。
人気順位は高くなくても、非常に強く、深く応援するファンを持つメンバーがいる。その少数の濃いファンを戦略的に育てることで、グループ全体の売り上げを支えることができます。
推し活は、単なる個人の感情ではなく、
◎どれほど強いファンがつくか
◎どれほど長く応援するか
◎どれほどお金と時間を投じるか
まで分析され、設計されるマーケティングの対象になっている。
Hさんの比喩によって、本書に描かれたファンダム経済の構造が、より具体的に見えてきました。
劇団四季は「推し活」なのか
Yさんは、自分にはいわゆる推し活の経験はあまりないとしながら、劇団四季について話しました。
劇団四季は好きだが、特定のスター個人を追いかけるというより、劇団全体の完成度や、誰が出演しても一定水準以上の舞台を作るシステムを楽しんでいる、といいます。
個人への過剰な投資を促すスターシステムとは、少し異なる応援の仕方です。
さらに、浅利慶太さんが子どもたちにミュージカルを届け、将来の観客を育てようとしていたことも話題になりました。
これは、現在いるファンからできるだけ多くのお金を引き出すことではありません。
舞台に触れる機会を作り、文化の受け手そのものを育てる行為です。
『イン・ザ・メガチャーチ』で描かれるファンダムが、人の視野を狭めていくものだとすれば、劇団四季の取り組みは、観客の世界を広げるファン作りだったともいえます。
ライブを支えるグッズ販売
Oさん(元編集者)は、現実の音楽ビジネスについて話しました。
大規模な音響や舞台演出にこだわるほど、ライブには多額の費用がかかります。有名なアーティストであっても、地方公演や海外公演が必ずしも黒字になるとは限りません。
そうした公演を支えているのが、Tシャツなどのグッズを購入するファンです。
この話からは、推し活が、ただ人からお金を奪うものではなく、アーティストの活動や文化を支える力にもなっていることが分かります。
では、文化を支える応援は、どこから搾取に変わるのか。
ファンが自分の意思で楽しみながら支えているのか。それとも、不安や罪悪感を刺激され、応援をやめられない状態になっているのか。
その境界線を考える必要があります。
推しは、人の世界を広げるか、狭めるか
読書ミーティングを通して見えてきたのは、推し活そのものが善でも悪でもないということでした。
推しの存在によって、毎日に楽しみが生まれ、人とつながり、新しい世界を知ることがあります。
一方で、その物語だけが世界のすべてになり、異なる意見が見えなくなり、自分の生活を犠牲にすることもあります。
その違いを分けるのは、推しがその人の世界を広げているのか、それとも狭めているのか、ということかもしれません。
『イン・ザ・メガチャーチ』は、推し活を批判する小説ではありません。
人間はなぜ物語を必要とするのか。
なぜ共同体に属したいと願うのか。
そして、その願いは、どのように利用されるのか。
令和の日本社会にある孤独と熱狂を、逃げ場のないほど正確に描いた作品です。
だからこそ、SHOMAはこの本を高く評価しながら、どうしても好きになれなかったのだと思います。

