SHOMAが選んだ推薦図書とは別に、参加者にも、紹介したい本を持参し、それぞれの方法で紹介していただく時間を設けています。
一人の人が、一冊の本をほかの人に薦める。SHOMAの選書には「ベストセラー」と「ロングセラー」という基準がありますが、参加者が選ぶ本には、その人ならではの推薦理由があります。
長年この読書ミーティングを続けてきて、これまで知らなかった本に出会えることは、もちろん大きな楽しみです。しかし、それと同じくらい興味深いのが、「なぜ、その方がこの本を紹介しようと思ったのか」ということです。
推薦の言葉からは、その人自身の経験や、いまの社会に対する考え、そして、これからどのように生きていきたいのかが、ふと垣間見えることがあります。
参加者推薦図書の時間は、本を知るだけでなく、その本を選んだ人の思いや人生にも触れられる時間なのです。
大塚あみ『♯100日チャレンジ 毎日連続100本アプリを作ったら人生が変わった』

AIノウハウ本ではなく、成長記録として読む
Hさんが紹介した『100日チャレンジ』は、ChatGPTを使ってプログラミングを始めた著者が、100日間毎日プログラムを作ってXに投稿し、その成果が学会発表や就職につながったという内容です。
Hさんは、この本を「AIの使い方を教える本」というより、「AIを使って何かを始めた人の成長記録」として面白いと紹介しました。
著者は自分を怠け者だと捉えており、「手を抜くために全力を尽くす」タイプである、という説明もありました。
この本の面白さは、AIがすごいという話だけではありません。
最初はChatGPTに頼る側だった著者が、次第にAIの限界を理解し、自分がAIを使う側、監督する側に変わっていく。
そこに、AI時代の学び方のモデルがある、という読みです。
AIの出力を疑えるようになることが成長
Hさんは、AIを使ううえで重要なのは、出てきた答えをそのまま受け取ることではなく、「これは違う」「もっとこう直したい」と思えることだと話しました。
出力を無批判に使うだけなら、まだAI以下の段階かもしれない。
しかし、AIの出力を見て、間違いに気づき、修正し、よりよいものに変えられるようになれば、それは人間側が成長しているということです。
この考え方は、AI教育全般に通じます。
AIは「答えを出す機械」ではなく、自分の理解度を測る鏡でもある。
AIの間違いに気づけるかどうかが、その分野における自分の力を示す、という議論でした。
AIとプログラミングの基本構造
技術系の参加者、SEのTさんからは、プログラミングの基本構造について説明がありました。
プログラムは大きく言えば、入力、処理、出力から成り、その処理には、順次処理、反復処理、分岐処理がある、という説明です。
さらに、プログラミングとは、世の中の曖昧なものを細かい粒に分け、論理や数値に置き換えていく作業だという話もありました。
感情や曖昧な感覚も、コンピューターの世界ではできるだけ細分化され、条件や処理に置き換えられていく。
この説明は、AIを理解するうえでも重要です。
AIに曖昧な命令を出せば、曖昧な答えしか返ってこない。だから、前提条件や目的を具体的に与える必要がある。
AIを使う力とは、単に質問する力ではなく、「何を入力し、どう処理させ、どう出力を見るか」を設計する力だということです。
技術系の参加者、SEのTさんからは、プログラミングの基本構造について説明がありました。
プログラムは大きく言えば、入力、処理、出力から成り、その処理には、順次処理、反復処理、分岐処理がある、という説明です。
さらに、プログラミングとは、世の中の曖昧なものを細かい粒に分け、論理や数値に置き換えていく作業だという話もありました。
感情や曖昧な感覚も、コンピューターの世界ではできるだけ細分化され、条件や処理に置き換えられていく。
この説明は、AIを理解するうえでも重要です。
AIに曖昧な命令を出せば、曖昧な答えしか返ってこない。だから、前提条件や目的を具体的に与える必要がある。
AIを使う力とは、単に質問する力ではなく、「何を入力し、どう処理させ、どう出力を見るか」を設計する力だということです。
AIに使われるのではなく、使い手側のプロになる
KUさんは、ChatGPTやGeminiなど、それぞれのAIが何を得意とし、何をさせようとしているのかが分かると、使い方も変わってくると話しました。
また、Tさんからは、AIにはユーザーを肯定し、会話を続けさせるような設計が入っている面があるという指摘もありました。
つまり、AIは中立的な道具に見えて、実際には作り手側の意図やビジネスモデルを背負っている。その構造を理解して使う必要がある、ということです。
この流れで、「AIに使われる」のではなく、「使い手側のプロになる」ことが重要だという方向に議論が進みました。
AIを怖がるのでも、盲信するのでもなく、道具としての癖を知り、目的に応じて使い分ける。
『♯100日チャレンジ』は、その実践例として読まれていました。
新川帆立『ひまわり』

四肢麻痺になった主人公が弁護士を目指す物語
『ひまわり』は、交通事故で頸椎を損傷し、四肢麻痺になった女性が、弁護士を目指す物語として紹介されました。
Oさんは、この本を選んだ背景として、身近に脳梗塞や事故で身体が動かなくなった人が何人もいることを語りました。
特に、友人の子どもが若くして首から下が動かなくなった話があり、そのことが重く心に残っていたため、この本をしばらく読めなかったと話しました。
この本は、大島さんにとって単なるフィクションではありませんでした。
現実に顔の浮かぶ人たちがいて、その人たちの苦しみや家族の思いを抱えたまま読む本だった。
だからこそ、この本を紹介することには、自分の中に抱えていた思いを少し整理したい、成仏させたいという意味があったようです。
障害を負うことを「自分と無関係」にしない
Oさんは、障害を負うことは誰にでも起こりうることであり、それを「自分とは関係ない世界」として見ない社会であってほしいと話しました。
車椅子の人を見て、子どもに「悪いことをするとああなる」と言った人の話も紹介されました。
その言葉に対して、障害は罰ではなく、誰にでも起こりうる現実なのに、それを自分事として考えられない社会は冷たい、という問題意識が語られました。
この発言は、『ひまわり』の社会的な意味をよく表しています。
この小説は、主人公の努力や根性だけを描くものではありません。
社会の側が、障害を持つ人をどう受け止めるのか、前例がないことをどう変えていくのかを問う作品として読まれていました。
司法試験、音声入力、前例を変えること
『ひまわり』では、主人公が司法試験を受ける際、音声入力が前例なしとして認められないという問題が出てきます。
この点について、現役弁護士である*Hさん**は、実際に身体障害のある弁護士は存在すると話しました。
そして、弁護士に必要なのは身体が動くことではなく、知的な思考力、聞き取る力、伝える力だと述べました。
さらに、技術によって肉体的なハンデを補えるなら、弁護士に限らず、多くの人の知識や能力を社会で活かせるようにすべきだという意見も示しました。
日本は人口が減っていくのだから、障害がある人も含め、できるだけ多くの人の知能や経験を活用する方向に行くべきだ、という考えです。
ここで重要なのは、「前例がないからダメ」という行政的な発想への批判です。
『ひまわり』は、個人の努力物語であると同時に、制度が前例をどう更新するかを問う物語でもある。
Hさんの発言によって、その法制度・社会制度の問題がよりはっきりしました。
小説は重い現実をどこまで受け止められるか
KUさんは、『ひまわり』のように、何かを失った人がどう克服していくかを描く過程は、小説ならではの面白さだと話しました。
ノンフィクションで事実を知ることと、小説を通じてその人の内面や時間を追体験することは違う。
小説は、自分が感じていたことや、言葉にしたかったことを見つける助けになるのではないか、という発言でした。
一方で、**Oさん**は、同じような状況にある友人には、この本を簡単には勧められないとも話しました。
読むことで励まされる場合もあるが、逆に苦しくなる場合もある。
この慎重さは、とても大切です。
ここでSHOMAからのまとめとして、「小説は人を救えるのか」という大きな問いに触れています。
重い現実を描く小説は、読者に力を与えることもあれば、傷を開いてしまうこともある。
『ひまわり』は、その両方の可能性を持つ本として受け止められていました。
エッセイスト植西聡さんの「上機嫌」論

上機嫌とは、100点ではなく60点でよい
最後に、植西さんが自分の著書である「上機嫌の作り方」の内容について話しました。近々この本の取材を受けるそうです。
植西さんによれば、この本で言いたかったことのエッセンスは、上機嫌とは、完全な幸福や100点満点の状態ではありません。
心の中にプラスの気が60%くらいあれば、それはもう上機嫌と言ってよい、という考え方です。
この定義は、とても現実的です。
人はいつも明るくいられるわけではないし、悩みや不安がなくなることもありません。
それでも、少しだけプラスの気を保つことが、人間関係や仕事、健康に影響するという話でした。
上機嫌が健康や人間関係に与える影響
上西さんは、上機嫌でいることの効用として、人間関係が良くなる、仕事がうまくいく、感情をコントロールしやすくなる、逆境から立ち上がりやすくなる、心身の健康にもよい、という点を挙げました。
美容整形で外見が変わると心まで前向きになる例、健康診断を受けすぎない人の方が不安が少なく長生きしたという話、がん治療でも退院後にやりたいことがあり、ワクワクしている人の方が免疫が高まるという話も紹介されました。
これは、五木寛之の「最後まで生きる」という話とも響き合います。
ただ死を受け入れるのではなく、日々の機嫌や態度を整えることで、生きる力を保つ。
植西さんの話は、今回の読書会全体を、実践的な人生論へ着地させる役割を果たしていました。
上機嫌を押しつけないこと
植西さんは同時に、無理に上機嫌になろうとしなくていい、他人に上機嫌を強制してはいけないとも話しました。
悩んでいる人の前で、自分だけが上機嫌を押し出すと、相手を傷つけることもある。
だから、上機嫌は他人に求めるものではなく、自分の態度として持つものだという整理です。
この点は、『ひまわり』の議論ともつながります。
重い現実を抱えている人に、安易に「前向きに」と言うことはできません。
しかし、自分自身の中に、少しでも機嫌のよい状態を作ることは、現実に向き合うための力になる。
植西さんの発言は、励ましと押しつけの違いをきちんと意識したものだったと思います。

