第52回読書ミーティング報告⑥ 孤独を抱えながら、つながること。大きな流れの中にいながら、自分を失わないこと。

第52回読書ミーティングでは、五木寛之さんの『大河の一滴 最終章』、朝井リョウさんの『イン・ザ・メガチャーチ』、谷川俊太郎さんの詩三編、そして参加者から推薦された『#100日チャレンジ』『ひまわり』、エッセイスト植西聡さんに著書の「上機嫌の作り方」について語ってもらいました。

生と死を見つめるエッセイ。

「推し」という現代の熱狂を描く小説。

時代を越えて読み継がれてきた詩。

AIとともにアプリを作り続けた大学生の記録。

重い障害を負った女性が司法試験に挑む物語。

そして、自分の心の中に上機嫌をつくるための人生論。

一見すると、まったく異なる作品です。

しかし、改めまして、五回にわたって報告を書きながら振り返ってみると、今回取り上げた作品の底には、共通する問いが流れていたように思います。

それは、

私たちは、自分ではどうにもならない大きな流れの中で、それでも自分の人生の主人公であり続けることができるのか。

という問いです

 流れに身をまかせるのか、流れの中で生き切るのか

『大河の一滴 最終章』で語られていたのは、人生という大きな流れに逆らわず、やがて死を受け入れるという前作の思想から、ときには流れに逆らってでも、一日でも長く生きようとする姿勢への変化でした。

死ぬことが決まっているから、何もしなくてよいのではない。

限られた時間だからこそ、今日を生きる。

孤独をなくすことはできなくても、孤独を抱えたまま、誰かとつながろうとする。

五木寛之さんが90代になってたどり着いたのは、運命を受け入れることと、自分の生を最後まで使い切ることは、決して矛盾しないという境地だったのかもしれません。

ここで示されたのは、すべてを自分の思い通りにするという意味での「主体性」ではありません。

老いも、病気も、死も、人生から取り除くことはできない。

それでも、自分の身体を感じ、自分で考え、今日をどう生きるかについて、最後の判断を手放さない。

そのような、静かで粘り強い主体性です。

人はなぜ、自分を何かに委ねたくなるのか


一方、『イン・ザ・メガチャーチ』が描いていたのは、人が自分の時間や感情を、一つの大きな物語に委ねていく姿でした。

現実の生活の中で、自分の居場所や役割を見つけられない。

誰かに理解されたい。

何かを信じたい。

自分の人生にも意味があると感じたい。

その空白を「推し」が埋めてくれます。

推しを応援することで、生きる力を得る。仲間とつながる。これまで知らなかった世界に触れる。そうした喜びがある一方で、その切実な思いが、ビジネスや市場の側に分析され、利用されることもあります。

人を救うはずだった物語が、人の視野を狭め、自分の生活を犠牲にさせる装置へ変わっていく可能性があるのです。

読書ミーティングで見えてきたのは、推し活そのものが善でも悪でもないということでした。

大切なのは、その対象が自分の世界を広げているのか、狭めているのか。

誰かを応援することで、自分も新しい場所へ踏み出せるのか。

それとも、一つの物語だけが世界のすべてになり、自分で考えることを手放してしまうのか。

これは、推し活に限った話ではありません。

政治、宗教、SNS、会社、世間の常識、さらにはAIが示す答えも、人間にとっての「大きな物語」になり得ます。

私たちは、何かにつながることで孤独から救われます。

しかし同時に、つながりの中で自分を失う危険もあります。

AI時代に、人間の言葉は何をするのか

谷川俊太郎さんの『朝のリレー』『春に』『二十億光年の孤独』を取り上げたとき、SHOMAが立てた問いは、一言で言えば、

「絶対にAIが書けない言葉とは、どのようなものか」

というものでした。

実際にAIにも同じ題名で詩を書かせ、谷川俊太郎さんの言葉と比べてみると、AIの言葉の巧みさと同時に、詩人の言葉が持つ独特の役割が見えてきました。

AIは、意味を整えます。

感情に名前をつけ、情報を分類し、筋道の通った答えを返します。

しかし、谷川俊太郎さんの詩は、世界を整理しません。

まだ名前のない気持ち。

論理では結びつかないもの同士の飛躍。

遠い宇宙と一人の人間の身体。

誰かから受け取り、また見知らぬ誰かへ渡していく朝。

谷川さんの詩は、説明しきれないものを、説明しきれないまま手渡します。

改めて、人間にしか書けない言葉とは、どんな言葉なのでしょうか?

その人が生きてきた身体。

忘れてしまった記憶。

誰かの顔を思い浮かべること。

言葉になる前のためらい。

説明してしまうことで失われるものを、あえて残しておくこと。

そうしたものを背負って発せられる言葉に、人間の言葉の役割があるのではないでしょうか。

別の見方をすれば、AIが言葉をつくる時代だからこそ、人間には、AIの答えを受け取るだけではなく、

「これは本当に自分の言いたいことなのか」

「この言葉によって、誰かを傷つけないか」

「整いすぎた答えの外に、何が取り残されているか」

と問い直す力が必要になるのではないでしょうか

参加者の推薦図書が示したのは「自分は自分の人生の主人公たりえているか?」という問いではないでしょうか?

参加者から推薦された三冊は、それぞれの語り口で、自分が自分の人生の主人公になる、ということに対する、より具体的な答えを示していました。

『#100日チャレンジ』では、著者は当初、ChatGPTの答えに頼っていました。しかし、毎日アプリを作り続ける中で知識を身につけ、やがてAIの間違いに気づき、修正し、指示を出す側へと変わっていきます。

AIを使うとは、答えを代わりに出してもらうことではありません。

AIの出力を点検し、何を作るのかを自分で決めることです。

『ひまわり』では、四肢麻痺となった主人公が、「前例がない」という制度の言葉を受け入れず、自分が新しい前例になろうとします。

ただし、それは本人の努力だけですべてを乗り越える物語ではありません。本人の能力が発揮されるためには、技術、介助、制度、周囲の理解が必要です。

『上機嫌の作り方』では、悩みや不安をすべて消すのではなく、心の中に少しだけ機嫌のよい場所をつくることが語られました。

ここでも大切なのは、無理に前向きになることでも、他人に明るさを強制することでもありません。自分の感情を否定せず、それでも心のすべてを不安に明け渡さないことです。

三冊に共通していたのは、

**道具や制度、人の助けを受けながらも、最後の判断を手放さないこと。**

それが「自分が自分の人生の主人公になる」ということなのだと思います。

今回の読書ミーティングを通底していたもの

こうして振り返ると、第52回読書ミーティングを通底していたのは、

**孤独を抱えながら、つながること。

大きな流れの中にいながら、自分を失わないこと。**

だったように思います。

『大河の一滴 最終章』では、孤独を受け入れながら、最後まで生き、人とつながろうとする姿がありました。

『イン・ザ・メガチャーチ』では、つながりを求める切実な思いが、熱狂や市場に利用される危うさが描かれました。

『朝のリレー』では、会ったことのない人同士が、地球の上で朝を手渡していました。

『春に』では、まだ名前を持たない気持ちが、そのまま誰かへ渡されました。

『二十億光年の孤独』では、人間は孤独だからこそ、互いに引き合うのだという感覚が示されました。

そして参加者の推薦図書は、AI、障害、制度、感情といった、自分一人ではどうにもならないものと関わりながら、それでも自分の判断を持って自分は自分の人生の主人公として、生きる方法を示していました。

孤独を消すのではない。

何かに完全に委ねるのでもない。

一人で全部を背負うのでもない。

自分とは違う人とつながり、助けを借り、言葉を交わしながらも、自分の人生の舵を手放さない。

それが、今回の読書ミーティングを流れていたものではないでしょうか。

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